ガラスの覆いとスピリチュアルな世界
このブログは独り言のつもりで書きつつも
同じような死別の経験がある人とつながれたり情報交換できないかなぁと思い、ツイッターにもハッシュタグはつけています。
はてなブログでこのジャンルをやる自体、ひっそりとやっている感じがしっかりと出ていると思うんですが。
むしろはてなブログさんすいませんって思います。死別の独り言ブログ...。
でも最近少し読んでもらってるようなので
ですます調で書いてみる。...。
めんどくさいから各ブログ記事整えていません。。。
最近あったことを書いていきます。
死別者は他人からは付き合ううちに死別の経験などない一般的な人に見えてくるみたいなんです。
それは、相手の表情や言葉全てから感じとります。
しょうがないことでむしろ当たり前なこととも思います。
最愛の夫と死別なんて想像もできないことだと、想像してもいけない気になる。そうしてるうちに、死別者だと思わなくなっている。忘れてくる。たまにふと死別者だと思い出して、なんて強靭なメンタルだと感心する。ってパターンな気がします。
違います。普通じゃないし、強くないです。
あなたのために普通に見せています。
普通に思われているとこちらも楽な部分はありますが、普通の人とはやはり違います。
悲しみの経験は人それぞれでしょうし、死別の想いもまたそれぞれ。
愛する人が呼吸もできなくなってしまったその瞬間の光景が目から離れません。
管に繋がれ、先生が酸素を送ることで、無理やり生かされている、生きている家族が死に目に会うためだけに命をつなぎとめられ、意識はもうなく、話すことができない、心臓の音が止まり、光がなくなり、冷たくなり、灰になり、骨を納め。このひとつひとつの経験が日常にどれほど重みをきたし、どれほどの想いを抱えてその瞬間瞬間を過ごしているか。
毎日お線香に始まり、お線香におわるこの生活。愛する人への愛をどうしたら届けられるか。
絶対にこの生活は普通とは違います。
悲しみも苦しみも、胸の締め付けでさえ、言葉にも表情にも表現できないほど、分厚い重いものなんです。
悲しみの重み、生活の一瞬一瞬をなんとか乗りきる、やり過ごす、という重みを理解してもらいたいと思うけど、想像が及ぶものでないはないだろうし、想像されたくないとも思えるし。
また自分の経験が全てではないのはもちろんで、他人にも想像がつかない全く知らない過去があるわけだし。
でも理解されないってすごく生きづらい。
(理解し合える最愛のパートナーはもう姿が見えないし)
だから日々の生活での他人とのコミュニケーションは本当に疲れます。
自分の死別を知っている人も知らない人も、どちらに接するのも疲れます。
傷だらけでボロボロな心をみんなさらにえぐるんです。笑
「私だったら言えない。こんなこと。」
「夫を亡くした人にそんなこと。」
って言葉で溢れていて現実社会こわすぎます。
でもそんなこと言ってたらお仕事はできません。
普通にして、なるべく神経質にならないように右から左へ流して頑張って努力して仕事をしてなんとか1日1日過ごしています。
いただいたお仕事は、死別を経験したからこそ
丁寧に、人のためになるようにと心を込めて敬意を払い全力で頑張っていました。
でもここ最近
どんなことにも真剣に向き合いすぎて、自分に対してはスキだらけになってしまっていたようです。
それで思い出しました。
恩師に「あなたは無防備すぎて、か弱いバラのようです。全身全霊で人のために頑張る人です。自分のことをもっと大事にしてください。美女と野獣のガラスのケースをかぶせてください。」と言われたことがあります。死別後のことです。
仕事先は
私の過去を理解してくれているはずだけど
いいように使われている節があり
発言にも扱いにも敏感になってしまって
仕事をするたびに心に傷を負いました。
仕事だと割り切って、捧げることから一旦遠ざかるタイミングのようです。
誰かのためになりたい、役に立ちたい
この気持ちは大切だけど、100%をどこに設定するかはよく考えて、自分を大切にしつつ満足できる方法を選ぼうと思います。
さて
今日は特別な日になるかもしれません。
あるスピリチュアリズムの会に参加してきます。
でも怖いです。
その団体や内容についてではなくて、スピリチュアルな世界が怖いわけではなくて、彼の魂がもし存在しなかったらどうしようという。
存在していると信じているから確信を持ちたい。
でも確信を持ちたいと思うってことが信じられていない証拠。
不思議です。
信じているはずなのに、信じられていないなかもしれない。
もし事実が私の想像と大きく違ったらどうしよう。
希望がなくなってしまう。
信じたいのに、とても怖い。
3.11震災の日だからとくに、彼が来るのは難しいこと??かもしれないけど。
(トイストーリーマニアくらい並ぶんじゃないかって。そしたら彼は諦めそう。)
あちらの事情がわかりません。
死んでも魂は存在する、そして繋がる手段は必ずある、と信じたいです。
またブログを書きます。